精神病患者になった頃



私が精神科に初めて行ったのは2000年10月10日。
自ら母親に「行く」と云ったのだ。自分で解る程その頃の私は可笑しかった。
まず最初の症状は拒食だった。無意識だったが殆ど食べ物を口にする事が出来なくなり、 一週間程で10kg痩せた。そして不眠になった。殆ど眠らずに学校に行っていた。 しかもチャリ通だったので、今思えばそりゃ痩せるよと思うのだが。 あと何時も泣きたい気分だった。それの反動か少しの事で直ぐにキレていた。 どうしようもないイライラ感が込み上げて自分の腕や足を血が出るまで掻きむしったりもした。
その頃私は高校3年で、部活を全て引退して少し経った頃だった。
私は2つの部活をやっていた。それは両方ともとても忙しいもので、帰宅が夜中になる事も あった。そんな部活を全て引退した事がきっかけだったのかもしれない。 私は部活の為に学校に行っていたようなものだったから。高校では私は心の許せる友達が いなかった。それでも一応2年の時は仲の良い友達も居た。でも3年の時はクラスで一緒に連んでた 子と何かをきっかけにすれ違い、私は基本的に一人だった。でももう逃げる場所は無い。 もう私は部活を引退してしまった。
その頃はそんな事思ってなかったけどきっとそれがきっかけではあったのだと思う。
そして私は母親に云った。
「もう学校には行けない。私は可笑しい。病院に行く」
そして精神科に行った。診断された私の病名は2つ。
『自律神経失調症』と『不安神経性鬱病』
不安神経性鬱病というのは別名パニック症候群という奴だ。確かに私は人との関わり合いの中で 頭が可笑しくなっていた。テレビで見た事があったが、まさか自分がそれになったとは 夢にも思わなかった。それは自律神経失調症も一緒だけども。
それから私は学校に行かなくなった。一応進学校だったので、冬には自主登校になるのだけれど それまでずっと行かなかった。元々出席日数がやばかったのでもう卒業はこの時点で 諦めていた。でも先生方が私の病気について話し合ってくれて、自主登校の時に一人で 講習を受けて足りない単位を取るという形で卒業出来るようにしてくれた。 それでも私は学校には行けなかった。でも私は卒業できた。 担任が病院まで付いてきてくれて病状を詳しく校長に話してくれたり、 部活の担任が私の活動を頑張っていたと伝えてくれたりして、私は自宅課題を 提出するだけで単位を取得出来るようにしてくれたのだ。
そうして私は卒業出来た。病気の事を考えて、フリーターになった。

今こうやって書き出してみると、まだ私の病状はこの頃と大して変わっていない。
それは学校の事は只のきっかけに過ぎなかったという事で。私の病気はもっともっと 深いところに原因があるのだと云う事だ。幼い頃から溜まりに溜まった原因が。
私は今も、精神病患者だ。




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